海へ行きましょう

猫の肉球の感触を楽しむような、そんなブログを本当は書きたいのだが

双極性障害を諦めた

昨日偶然、テレビ東京の「家着いて行っていいですか?」を見た。26歳、美容師のシングルマザーに密着していた。子どもは確か7.8歳で、立派に育っている様子だった。

なかなか、この密着を面白く見れる気分にはなれなかった。なんでかって言うと、私はもうすぐ26歳、仕事は少し休んでいて、誇ることも特段ないからだ。

 

双極性障害躁うつ病の正式名称で、私がそう診断されたのは去年の夏頃。双極性障害II型。

双極性障害には2種類あって、I型は、活動量が極端に上がり、身の丈に合わない大金を払って何かを買ったり、寝なくても平気なくらい元気だったりする「躁のエピソード」と、寝たきりでどうしようもなく死にたくなる「鬱のエピソード」がわかりやすく交互に押し寄せてくる、そんな症状を見せる。

一方II型は、「躁のエピソード」が非常にわかりにくい。「鬱のエピソード」はI型と同じようにズドーンと来るが、「躁のエピソード」は、いつもより活動量が少し増えるとか、ちょっと元気に見えるとか、そんなもんだったりする。

 

多分だけど、高校生くらいから私はこの病と、知らず知らずのうちに付き合っていると思われる。

根暗なのだが、というかだからこそ、人と会っている時はどうやら自然に「躁のモード」にギアを入れているようだと最近気づいた。そして反動の鬱がやって来る。その繰り返し。大学の頃はアルバイトだったので責任もなく、休む時間もたっぷりあったため、あまり表には出ていなかった。

だが問題は卒業後の仕事だ。

人と接するわけだから、自動的に「軽躁モード」に入ってしまう。それが週4〜5日あるわけで、一気にまとめて休息が取れるわけではない。だから本当にしんどい。私は1年目の2月〜2年目の10月まで、これは携わっていた業務の心理的ハードさも原因で、休職した経験がある。2年目の11月〜3年目の7月までまた働いて、今は2週間くらいお休みしている。

体力なし、気力なし、そして病気待ち。

体力がないから気力が湧かないのか、気力がないから体力が弱いのか、どちらが先の因果関係かわからない。が、そういう自分でも一生懸命会社にしがみついているのは、世の中そう甘くないってことを知っているから…な気がする。

職場の人たちは、びっくりするほど優しくて、とんでもない配慮を私にしてくれている(職場環境の調整や、時間の融通など)ので、こんな良い会社はそうそうないと思う。だから、自分は最後のチャレンジとしてまた1週間後には復帰して、業務にあたるのだろう。

もちろんまた休みを欲してしまった自分には落ち込む。でも、毎日散歩してて思ったのは、「もうこればっかりはしょうがない」ってことだ。周りの人のように働けないのも、これも運命の一つなんだなあと。問題は解決しないが…、諦めるからこそ得られる何かもあるだろうなあと。いつ会社を辞めるかわからないけれど、辞めることになるまでは「もうなるようにしかならない」って思いながら出社すると思う。しょうがないのだよ涙

 

26歳になるので、周りでは結婚や子どもに関する話題がホットだ。

この間、山岳部の友人一人と高尾山を登った。そのときにもこの話になって、彼女が漏らした言葉がある。「子供の人格形成に多大な影響を与えると思うと、あまり欲しいと思えない」

心の底から私は共感した。根無草のような、心もとない気持ちを毎日のように抱えている自分に、人間を育てる余裕が少なくとも今はない。私を選んで生まれてくる子どもに対する、責任を果たすことができない。だから自分は子供が欲しいと今は思わない。

 

病気に翻弄され、確固たる目標みたいなものも無くなってしまった。昔はあったが、それが自分を苦しめていたとも思う。何にもない自分。それを受け入れたところから人生は始まるのかもしれない。「あさってばっかり見てたキミ」はやめよう。何もない今の自分の視点から、周りを見てみよう、日々を生きてみよう。