海へ行きましょう

猫の肉球の感触を楽しむような、そんなブログを本当は書きたいのだが

記念日

うつ病が治りました。

 

自分はうつ病なのかもしれないな、と思うようになったのが20歳のとき、初めて精神科を受診したのが21か22歳、本格的に通院するようになったのが24歳、今は27歳。

 

病気を認識してから、7年が経ったんだな。

 

ただ、うつ病になるような生き方が始まったのはもっと早くて、下手したら小学校高学年のとき。

 

自分にも感情ってあるんだ、あったんだ、と、思う。

 

やっぱり生き方を変えないとうつ病は治らない。私のボス戦はお母さんでした。

 

自分にも感情があるということを強く認識している今、困るのは付き合っている人になんと言うか。

友人くらいの関係性でよければ、会ったり話したりはできるけど、セックスをしたくない。

 

私は、私が大切。

応援される経験

誰かに応援されている、と、心から思えたことがない。なんなら、芽を摘まれた、そんなふうにさえ思う。

 

お母さんから、私という人間を応援されたことがないと感じるのはなぜだろう。冷静に考えると、小さい頃に習っていたバレエや小学校で通った陸上クラブ、中学で毎日お弁当を作ってくれたこと、文化祭の出し物を見に来てくれたこと、大学受験など、応援なしには叶わなかったであろうことがたくさん出てくる。

そしてこれは本当の気持ちで、友達が私を応援してくれたことはある。

 

ただ、自分の根幹をお母さんに応援されたことがないと感じる。自分の人間性を応援されていると感じられなくて、本心から興味を持っているものに対して、「興味がある」と言えなくなったのはいつからだろう?

 

自分の存在が恥、そういう思いがどんどん強くなっていった。そして、うつ病になった。

 

自分の存在を消して消して消して消して消して消して消していったら、心がなくなって、誰が好きなのかも何が好きなのかもわからない人間になった。

 

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「怒、哀、喜、楽」の順番で、人は感情を発散するらしいが(泉谷閑示 「『普通がいい』という病」より)、私は主に「怒り」(不機嫌)の感情で家族の空気を支配していたお父さんの態度が不快だったのと、感じた瞬間に感情を発散しているように見えたお母さんと妹のやり方にずるさを感じて、自分はそうはなりたくなくて「怒り」の感情を真っ先に封印した。

そうしたら他の感情も出せなくなって、感情もなくなった。

 

人の邪魔にならないように生きて、なんとなくその場で「最適」な態度を選んで、他人に優しく、それなりに明るく、まっとうな人生に見えるような、よくわからんけど渡された脚本をなぞって。

 

と、書いたが、表面上はそうでも、心は暴れていた。

 

諦めてないんだよね。

自分という人間の本質を生きたいという願いを。

 

諦めない。

心因性のえずき

寒くなってきたせいか、うつの大波が押し寄せて来ていて、かなり寝込んでいる。最近はストレッチを2週間くらい継続できていたし、新しいことにもチャレンジしていたし、うつっぽい性質があるのも個性の一つだと開き直れていただけに、ショックが大きかった。

 

22日から習慣にしていたストレッチができなくなった。

23日はとても久しぶりに昼過ぎまで起きれなかった。

24日はなんとか昼前に起きて、友だちとカレーを食べてからカフェに行って抹茶ラテを飲みながら話した。その後精神科に行って、障害者手帳を申請するために必要な診断書を手に入れた。6600円もした。

25日は大学の友人らとの約束をキャンセルして、夜までベッドにいた。

26日は付き合っている人との約束をキャンセルして、夜までベッドにいた。

そして今日、27日も15時ごろまでベッドにいて、そこからご飯を食べて図書館に行った。

 

やはり「冬季うつ」なのだろうか。母親の友人でうつを持っている方も、今調子を崩しているらしい。

私は3ヶ月ほど前から、薬は漢方だけを飲んでいたのだけど、おとといからミルタザピンとロラゼパムの服用をはじめた。とりあえずめっちゃ寝てる。

 

うつにやられている時は特に、LINEやInstagramの DMを返せなくなる。今回も、せっかく会社の同期が久しぶりに連絡をくれたのに、即レスできなくて会えなかった。とは言っても、休職していることに負い目を感じているから、会うことになったとしても緊張はしたと思う。でも嬉しかったから、気楽な気持ちで会いたかった。

 

さて、タイトルの「心因性のえずき」について少し書きたいと思う。

私は昨年の今くらいの時期(11〜12月)から、ストレスとうつで食べ物を食べることができなくなってしまった。まだなんとか会社で働いていたけれど、死刑囚が絞首台に連れて行かれるような気持ちで毎日電車に揺られていた。12月に当時付き合っていた人がクリスマス記念にオシャレなランチに連れて行ってくれたのだけど、私は食べられる気がせず、店の前に着いて、「多分食べられない」と泣き言を言ったけれど、「残せば大丈夫」と言われて、私もせっかく予約してくれたから悪いとも思い、死に物狂いで、次々と出て来るとっても素敵な美味しそうなコース料理を押し込んだ。無事に食べ終わったけれど、本当に具合が悪くなって、会社の救護室で仕事が始まるまで横になっていた。その時にお店で撮った記念写真を見ると、意外と元気そうな自分が写っていて、見た目でわからないことっていっぱいあるんだなと思った。

 

昨年の11月頃から、だいたい今年の3月くらいまで、食べ物が食べられなくなってかなり痩せた。それ以降は意識的に食べるようにして、痩せないように気をつけている。拒食症が、精神疾患の中で死に至る確率がもっとも高いと聞いたことがあるが、なるほど、と思う。食べることは生きることで、食べることを体が拒否するということは、体がもう生きたくないと言っているということだから。

 

食べることは生きること。生きることは人と会うこと。つまり、人と会うことと食べることも密接なつながりを持っている。

人と会うことの中には、多くの場合、食事を一緒にすることが含まれている。それはほとんど当たり前のことと言ってもいい。でも世の中には当たり前のことなんて本当は一つもなくて、今の私にとって、人とご飯を食べることは当たり前にできることじゃなくなっている。

 

ご飯を食べられなくなった経験を経て、私には「もしかしたらご飯が食べられないかもしれない」という不安が頭の中に巣食うようになった。また、こっちのほうがもっと悪影響を及ぼすのだが、本当はご飯を食べたくないと思っていても、人と会うからご飯を食べなければいけない、と思うことが増えた。

こういう時は無理してご飯を食べなくていいと思うのだけど、人に心配をかけたくないという気持ちから、無理してご飯を食べてしまう。「無理しないで」と言ってくれる人はいると思うのだけど、本当に、一口も食べられないのだ。それはさすがに心配するでしょ? そうなると、遊びの予定が台無しになってしまう(ような気がする)。

 

こういう感じで、本当は食べたくないのに、強靭な意志の力でご飯を食べることを続けていたら、ついに体がボイコットするようになった。

もう無理させないで! というように。

 

何が起きたかというと、日常的に「オエッ」と嗚咽が出るようになってしまった。ご飯のことを想像したり、ご飯の匂いを嗅いだりすると出る。さらには、ただ外を歩いているときや、レジで店員さんとやり取りするときなんかにも出る。最近は、歌っている途中に吐きそうになって、歌い続けられなくなることもある。先週歌舞伎を観に行ったのだけど、ああいう舞台には私は立てないなと悲しくなってしまった。合唱や歌うことは好きだから、舞台に立つことはないにしても、人前で嗚咽が止まらなくなるのは嫌だ。

 

これらの吐き気は、だいたい「やばい来そう」と思うとやって来る。つまり、心の問題なんだと思う。だから、「心因性の吐き気」。

半夏瀉心湯という漢方がかなり効いて、お守りみたいに持ち歩いているが、たまにそれを忘れるとそのときも「やばい!」となって吐きそうになる。

 

「今日は大丈夫だった」という成功体験を地道に積んでいくことが、きっと唯一の解決の道なのかなと思う。

 

 

自分に嘘をつかず、心の声に従う。それが人生のコンパス。

2023.2.5 休日

11:45起床。「朝活」とは程遠い生活をしている。母にバカリズム脚本の「ブラッシュアップライフ」を見ようと誘われるが、14時から約束があったため断る。

 

14時過ぎ、浦和駅で高校の友人と合流。用事を済ませたり話したりする。人出が多く、3人がけのテーブルが空いてるカフェがなかなか見つからず、カフェ難民になる。カフェに入って落ち着いている間に2回ほど、「この場にいられない」と思うような発作に襲われる。人といることに難儀を感じるこの病気とどう付き合っていこうか…。どんなに楽しくても、「帰って横になりたい」と思う瞬間があるのだ。

16時ごろ解散し、いったん家に戻る。小腹が空いたので数日前にテイクアウトしたピザをあたためて食べる。

19:30に蕨へ。友人と銭湯、「ニュー松の屋」さんに行く。外出前は寒くて断ろうか迷ったが、サウナとお風呂はやっぱり気持ちが良い。今回はサウナは1セットにして、露天風呂で長話をした。

21時過ぎに帰宅。焼肉のタレで生姜焼きもどきを作る。野菜が少し焦げた。

0時過ぎに寝る体制に入る。猫が入ってきて、その子を支える肩が痛い。けっこう良い休日だったのではないかと思いながら寝る。

2023.2.4

11時起床。12時からの約束だった友達とのランチを、13時に変更してもらう。土曜日は母が11時から料理教室をやっているため、リビングには行けず、こっそり外出の準備をする。ジーンズにセーターを着るが、全身鏡をみるとダサい自分が写っている気がして、オシャレって難しいなと思う。

 

13時、友人の勧めで上野のビリヤニの店へ行く。美味しかったがボリューミーでお腹がはち切れそうになる。ランチの量について、男女で同じなのはおかしくないかと友人に訴えたが、女性だけ少なくするのも差別じゃん? と返された。

散歩をする。しばらくすると浅草に着いたので、コロナにかかったためできていなかった初詣をすることにする。おみくじを引いたら大吉だったが、「出世する」と書いてあって、「嘘つけ〜」と思ってしまった。

友人が唐揚げとメンチカツを食べるというので、食べているところを見る。そろそろ帰ろうかと駅に向かうとバッティングセンターがあるので寄る。バッティングセンターが好きだ。人生をやり直すならばソフトボール部に入ると思う(いや…卓球部も捨てがたい)。

1000円縛りでパチンコに行こうと連れて行かれたが、パチンコ屋の空気の澱みに耐えられず、ごめん無理だと言って退店。カラオケでも行く? と軽く誘われたが、その時点でくたくたになっていたので断る。「そんなんじゃ働けないじゃん」と言われ、真実ながら若干傷つく。帰りしな、「健康でね」と言われ別れた。

 

起きたのが11時、家を出たのが12時、解散したのが17時、家に着いたのが18時。そこから20時まで昼寝。←これが辛い。

友人と遊ぶのはもちろん楽しみだが、死ぬ思いで外出してることも多いのがうつ病患者だ。遊びもリハビリのひとつなんだ…。

 

夜はなんとかお風呂に入って、明るい人と電話をしたら明るい気持ちになり、0時半ごろに寝る。

2023.2.3 節分

11:30起床。妹は仕事、母は買い物に行っていた。ひとり朝食兼昼食を食べる。

 

リモートだったので、12:30ごろPCの電源をつける。つけたはいいが、寒いのもあってPCの前に座る気が起きず、ベッドに入る。そうしたら、体に重しが乗っているのかと思うほどの重力が襲ってきて、しばらく動けなかった。

しぶしぶPCに向かうが、若干のイレギュラーがありその対応を前に心が折れる。それは来週にまわすとして、簡単な仕事をこなした。

 

「暇なとき何してる?」

友人からLINEで聞かれた。最近は、暇という感覚がなくなってきた。常に何かに焦っているのと、体調が悪すぎて興味関心が他にいかないため、暇なときもなければ何をしているわけでもない時間が多い。アマプラもゲームもYouTubeも見る気にならない。読書もできない。コンテンツの摂取がつらい。「花束みたいな恋をした」の、仕事が忙しくなってからの麦くんに近い。ゆえに飲み会などで友人に会うときに話すネタがない。びっくりする。

 

このままじゃダメになってしまうなーと思い、上司にLINE(LINE友だちなのはウケる)で仕事を辞めることも考えてますと伝える。30分くらい電話をした。本当に辞めるかもしれないとなると、急にドキドキしてきた。大人になりきれていない。

 

デザートに甘納豆を食べる。銀座鈴屋という老舗の良い甘納豆。最近テレビで、金沢の特集をやっていたのをみたのだが、甘納豆かわむらというお店が美味しそうだった。それで買ってきた。甘納豆の盛り合わせを提供している映像を見て、「こういう仕事がしたいなー」と声を漏らした。久しぶりに働くということに対して前向きな発言が出たことに驚いた。甘納豆職人。体力がないと厳しいかな? 自分に体力がないことが自分の自信を奪っている。

 

いろいろ転職サイトもみてみた。温浴施設とか、ヘッドマッサージ師もいいなあと思った。これらも体力がないと無理か?

 

南南東を向き恵方巻きを食べ、家の外と内に豆をまいた。

明日は休みだが、昼に予定がある。行けるだろうか。