海へ行きましょう

猫の肉球の感触を楽しむような、そんなブログを本当は書きたいのだが

ただいまJapanとJapanese

 

私は今、豪華客船「にっぽん丸」に乗り太平洋の上をメキシコを目指して進んでいる

 

という、世界線もあるにはあった。

が、私は日本に残った。

 

『世界青年の船』という事業の参加青年として(補欠で)選ばれて、10か国の海外青年と交流を図りながら1ヶ月半を海の上で過ごす予定ではあった。

英語もそれなりに練習し、和太鼓に励み、お土産として箸や松の栽培キットを買い、円をドルに変え、馬鹿デカい荷物を横浜埠頭に送ったが、土壇場で辞退を決めて代々木のオリンピックセンターから帰ってきた。一見、ただいなる労力が無に帰しただけの行為かもしれない。

 

ただ、私としては事前研修と合わせてたった10日足らずでも、「世界青年の船事業のメンバーとしてそこにいた」ことでやっと体感できたことが多かったと感じてる。

備忘録として簡単に書いておこうかなって

思った。

 

発見①は、私は日本語が好きだということ。

母語が好きだと言い換えることもできるかも。

英語を話しているとき、私は言いたいことを頭の中で簡単な日本語に直してから、それを英訳する形でものを話していた。(自分の英語コミュニケーション能力の低さは置いておく)。奇妙な表現になるけど、私は英語を話させられていたと思う。

私は「ウザい」(死語だが)という日本語を使うことが少ない。「むかちん、、」と感じても、できるだけ正確に自分の気持ちを言葉にして伝えたいため、一度冷静になる。で、伝える前に私が感じたものはなんだ?理由はなんだ?と考える(一瞬だけど)。

その結果、あー理不尽なことをされてると感じてるんだわ、とか、私は自分を傷つけてほしくないと思ってるんだ、とか、どこからどう見ても非難されるべき行動ですね、とか、色々感じてるわけです。まあある程度みんなそうだと思う。

でも英語だと、angryとかfrustrated とかsadとかしかわからないし、本当に伝えたいことに目をつぶって、はじめに言葉(単語)ありきでそこに合わせていく、ことしかできなかった。

何度も言うが、私の言語能力の低さは一度脇に置いておく。

ただ、

英語の能力が低い=英語を勉強するモチベーションが低い=英語を勉強することが義務になっている(金や仕事のため)

という私だけではなくて多くの日本人に共通して生じている事象は、まず日本語への興味や傾倒や貪欲な執着が、逆説的だけど薄れていることからくるのではないか、?

言語って、単なるツールなんですか?

「みんなに伝わる簡単な日本語」ばかりを使っていて楽しいのか?

「コミュニケーションのためだけの英語」に紛れてはいたけれど、「コミュニケーションのためだけの日本語」も存在していた。まあそれは事業の中だけでなくて、日常生活にも多いけれど、、。

 

私はもっともっと日本語(大きな目線で言えば、言語)に愉しみを見出したい、、。

いや私は楽しんでいるけど、多分まだまだいけるんだと思う。私は変な日本語、はみでた日本語を使い続けるよ。楽しいから。だからブラックユーモア系日本語漫才も大好きだ。死ぬまで行間を読み取り続ける人生をやめないのだ。

 

発見②は、集団生活が苦手。

これはわかっていたことやんな。無理なものは無理なので諦めよう。ともかく、240人は多すぎた。

4人くらいがベスト。

 

発見③。PCをはじめとする電子ガジェットが嫌い。

これもわかりきっていたが、英語と同じでやらなければ市場価値が高められない…!と、思い込む呪いにかかっていたため、捨てきれずにいたことである。

ちなみにスマホも嫌いなので、スマホを肌身離さず持ち歩くことになるであろう仕事につくことがもう、大丈夫かなーという感じ。

まあ文字を打つくらいなら、ギリギリ耐えられるかな。エクセルやプログラミングやHPづくりやInstagramは、何度生まれ変わっても好きにならないでしょう。

 

やっと諦めました。私以外の誰かがやるので、私はやりません。適材適所。後ろ指なんてさされないよ。

 

 

そう、今回の経験で心の底からわかったことは、大きな意味ではこれから述べる一点に尽きる。

 

それは、

生きていくうえで、絶対にこれはやらないわってことだけ決めよう

ってこと。

Twitterとかでよく言われていることだとは思うけど、今回私はしっかりはっきり確信した。死にたいと思うくらいやりたくないことはやらないで生きていった方が良いよ。

 

私のやらない宣言は、

 

・日本語以外の言語をメインで使う場所(職場や住居)を拠点にしない

・集団生活を避ける

・電子ガジェットは最低限(ほんとうは捨てたい、いつか捨てられたらいいとすら思う)

 

 

です。これがわかっただけでも、気持ちが良い。

仕事は「勤労の義務」なのでそこそこやりつつも、人間社会は適材適所なので、「社会が私という人間に望むことは何か?」ということを常に考えながら、仕事趣味にかかわらず自分を生かせる場所に敏感になることを忘れずにこれからやっていけたらなと思いまする。

 

昨日は横浜大桟橋に行き、研修で仲良くなったルーミーを見送りました。

「日本人が120人いれば、120通りの色がある」。私の「日本に残る」という選択肢が、船の中でだれかを少しでも楽にできたら幸いです。

 

私は日本で、日本全近代文学を系統立てて読みつつ、無理のない範囲で浦和ではない日本の場所に行きます。

 

ちなみに今日はカミュの『転落』を読みました。

 

(適当でいいんですよ)

 

^^